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サンフランシスコ講和会議の話

日々

民族・宗教問題で26年続いていた内戦が2009年に終わり、
平和を取り戻したスリランカ。毎年毎年、目に見える発展を感じます。

2010年にはニューヨークタイムズ誌で

「今年訪れるべき国NO.1」

に選ばれ、2013年世界シェアNo1の旅行ガイド本ロンリープラネットでは

「2013年のもっとも旅行したい国No.1」

に選ばれました。

そんなこともあって、注目されつつあるスリランカ、
日本のテレビ番組でもちらほら紹介されていますよね。

スリランカという国を紹介する時に、良く取り上げられているので
御存知の方もたくさんいらっしゃると思いますが、私が初めてスリランカを知り
興味を持ったのもこの話抜きでは語れない。そう、サンフランシスコ講和会議のお話。

1951年サンフランシスコ講和会議で戦勝国の連合軍は、
日本に対して厳しい賠償と制裁措置を求めました。

当時ソ連が提案したものは、アメリカ、イギリス、中国、ソ連で日本を4分割統治する。
との案で、この提案が通っていたら、
私の愛する故郷大阪もアメリカ・中国の統治下になっていた可能性も!

その際、スリランカ代表のジャヤワルダナ氏がスピーチでブッダの言葉を引用し

「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」

と、諸外国に訴え日本に対する賠償請求を放棄する演説を行って各国の賛同を得て、
日本が国際社会に復帰できる道筋を作ってくれました。

この話は、スリランカでは子供からお年寄りまでだれもが知っている超絶有名なお話です。

〝憎しみは憎しみによってではなく、愛によってのみ止む”

この時、なんて、なんて、なんて納得する言葉なんだ!と、私は大感動してしまいまして。

はっきり言って今までスリランカに対しなんの興味もなく、場所もはっきり知らなかったし、
「宗教?!かかわるまい」と思っていたのに、ブッダについてまでも知りたい欲が
出てきたきっかけであるのです。

ジャヤワルダナ元大統領は、1996年11月1日90歳でお亡くなりになりましたが
親日家でも知られ、
 「これからもスリランカと日本を見つめていたいから、
    片目をスリランカ人に、もう片方を日本人に提供して欲しい」

と遺言に残され、日本の女性に角膜を提供移植されました。

現在、コロンボ中心地にあるジャヤワルダナ元大統領の自宅の一部が
J.R.ジャヤワルダナ記念館となっており記念館には、
サンフランシスコ講和条約での原稿のほか、数々の遺品が展示されています。

スリランカ人は、親日家がとても多く、
電化製品、車、技術、発展、おしん、同じ仏教国、先進国、和、盆栽、日本人のイメージ、
日本のすべてが好印象なのですが、
決してそれだけでなく、 日本の悲惨な時代も、同じ仏教国として親日家だったのですよ。

ほら、スリランカが大好きになってきたでしょ?!w

友人と訪れたスリランカ仏教の最初の中心となった
古都アヌラーダプラ・イスルムニヤ精舎にて。

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